2009.0617撮影。伝法院通りに面した門から入った境内。左がお堂。右が水子地蔵尊。鎮護堂は、明治16年(1883)浅草寺の第17世貫首が、夢のお告げにより境内に棲む狸を伝法院の守護としてまつったもの。赤門、水子地蔵尊、加頭地蔵尊もあります。入口は伝法院通り西側にあり、お狸さまと呼ばれ親しまれています。鎮護堂の前の記事はこちらです。鎮護堂内部の記事はこちらです。 鎮護堂の紹介ページ(伝法院通り商店街サイト)はこちらです。 浅草寺の鎮護堂ページはこちらです。
水子地蔵尊。柵の奥は非公開の伝法院庭園です。
水子地蔵尊の足下。
お堂の右には大狸の置物が二体置かれています。
お堂の裏ではアジサイが咲いています。
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2009.06.19撮影。浅草寺の銭塚地蔵堂ページはこちらです。
2009.06.17撮影。浅草寺の総門である雷門。 かつては駒形橋付近にあったそうです。そこから浅草寺の境内であったわけですから広大だったんですね。現在地に移ったのは鎌倉時代だそうです。 門の両側に置かれているのが風神像と雷神像。雷門の正式名称は風雷神門。雷門と大書された大提灯をくぐって振り返ると風雷神門と書かれています。江戸時代の川柳では「門の名で見りゃ風神は居候」などと詠まれています。 この雷門、慶応元年(1865)に焼失して以来、昭和35年に松下電器産業(現パナソニック)創業者である松下幸之助氏が寄進するまで幻の門だったのです。風神像、雷神像の記事はこちらです。 雷門の裏側に安置されている火除けの龍神像の記事はこちらです。 浅草寺のホームページはこちらです。
2009.06.17撮影。本堂左側、奥山おまいりまち近くに記念碑などが集められた新奥山があります。
満開のアジサイと共に様々な碑を見て歩くのも楽しいと思います。
浅草寺本堂では本堂屋根瓦 をすべて葺き替え、併せて本堂外壁塗装を行なう工事が行われています。協力メンバーのtomoさんが浅草寺病院からの写真を送ってくれました。6/9〜6/15の写真をまとめてアップします。どうもありがとうございました。(風) 6/9。
6/10。工事用の外屋根が右で作られて左に送られているようすが判ります。
6/12。
6/13。
6/15。
(「浅草寺本堂大営繕のための寄進お願い」のパンフレット)パ ンフレットによれば、今回の大営繕は平成21年(2009)2月より平成22年(2010)11月末までのあしかけ2年に渡る大規模なもので、本堂屋根瓦をすべて葺き替え、併せて本堂外壁塗装まで行なうそうです。寄進は1口1万円(何口でも)本堂前の西側に受付所があります。郵便振替や郵送も受け付けています。問い合せ先:浅草寺勧財部勧募係(直通)03-3841-3711
2009.06.17撮影。夏越大祓は、心身のけがれを祓い清める神事とされています。夏の暑さに備えるという意味もあるんでしょうね。毎年6月30日に行われるのが夏越大祓、12月31日に行われるものが年越大祓。茅の輪は6/30まで設置されています。茅の輪のくぐり方は、浅草神社の大祓紹介ページで説明されています。
浅草神社は、浅草寺本堂の東(右)側にあります。明治政府の神仏分離令により分けられるまでは浅草寺と一体のものでした。浅草寺のご本尊示現に関わった三人の神さまをお祀りしたことから、地元では親しみをこめて「三社さま」と呼ばれています。三人の神さまの名前は、浅草寺のご本尊を隅田川から掬い上げた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・檜前武成(ひのくまのたけなり)の漁師兄弟と、浅草寺を創建した土師真中知(はじのまつち)。社殿は、本殿、幣殿、拝殿からなり、幣殿と拝殿が渡り廊下でつながれている権現造り。第三代徳川将軍家光により建立寄進された社殿は350年たった現在も当時の面影をそのままに残しており、昭和26年(1951)に国の重要文化財に指定されています。現在の例大祭「三社祭」は毎年5月17、18日に近い金土日に開催されています。土曜には氏子44ヶ町の神輿約100基が浅草神社を発進、各町内を渡御。日曜には本社神輿3基と町内神輿が浅草中を練り歩き、3日間で延べ200万人近い観光客であふれます。今年は5/15、16、17に開催されました。浅草神社のホームページはこちらです。三社祭の記事一覧はこちらです。
2009.06.17撮影。浅草寺本堂では本堂屋根瓦 をすべて葺き替え、併せて本堂外壁塗装を行なう工事が行われています。かつて国宝に指定されていた浅草寺本堂(観音堂)は、東京下町を焼き尽くした昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で仁王門(宝蔵門)、五重塔と 共に焼失しました。同年11月に仮本堂(現淡島堂)を落慶。その後、お寺、町方、全国の信徒が大変な努力をして昭和26年(1951)に現本堂着工、昭和 33年(1958)に落慶しました。昨年秋には本堂再建50周年を記念してお前立御本尊の大開帳が実施され、同時に開催された多くの祝賀行事によって浅草の町は大変な賑わいに包まれました。この本堂屋根瓦をすべて葺き替え、併せて本堂外壁塗装まで行なう大修繕(大営繕)が始まっています。平成22年(2010)11月末までの約2年に渡る大規模な工事となります。工事の無事を心より祈っています。浅草寺ではこの大営繕を成功させるため、全国の信徒に寄進の呼びかけをしています。寄進は本堂前の左側で受け付けています。本堂はシートで覆われて見ることができなくなっていますが、本堂内での参拝も従来通りできます。今回の工事では、2007年に工事が行われた宝蔵門と同様に チタン製屋根瓦に替わります。チタン製の瓦は耐候性に優れているだけでなく重さが従来の瓦の約1/8になるため、耐震性が飛躍的に高まるそうです。浅草寺のホームページはこちらです。
正面入口。
(「浅草寺本堂大営繕のための寄進お願い」のパンフレット)パ ンフレットによれば、今回の大営繕は平成21年(2009)2月より平成22年(2010)11月末までのあしかけ2年に渡る大規模なもので、本堂屋根瓦 をすべて葺き替え、併せて本堂外壁塗装まで行なうそうです。寄進は1口1万円(何口でも)本堂前の西側に受付所があります。郵便振替や郵送も受け付けてい ます。問い合せ先:浅草寺勧財部勧募係(直通)03-3841-3711
2009.06.17撮影。ダボハゼさんの投稿があったので私も改めて見てきました戦前には公孫樹(いちょう)の大木が天然記念物とされていましたが、戦災によって多くの木が焼失。残念ながら天然記念物の指定を解除されました。この碑は戦前のものだと思います。浅草寺境内では黒く焦げた銀杏の大木が再生しているのを見ることができます。
2009.06.14撮影。浅草寺の山門である宝蔵門(仁王門)は、天慶5年(942)に建立。数度の火災により焼失、再建を繰り返しました。その後、徳川家光により再度の寄進建立 が行われ、慶安2年(1649)に落慶。しかし昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により、本堂などと共に焼失しました。昭和39年、ホテルニューオータニを創始した大谷米太郎氏の寄進により再建。宝蔵門と呼ぶのは階上に浅草寺の宝物を収蔵していることによります。仁王の阿形像は錦戸新観作、吽形像は村岡久作。門の裏に懸けられている大草鞋は、村岡氏の故郷山形県村山市奉賛会による奉納。ほぼ10年に一度掛け替えられており、2008年に本堂落慶50周年を記念して掛け替えられました。小舟町の大提灯は、日本橋小舟町奉賛会の寄進。浅草寺のホームページはこちらです。
宝蔵門下から仲見世、雷門方面。
2008年10月に行われた宝蔵門大草鞋掛け替えの記事一覧はこちらです。