« 2009年10 月 | メイン | 2009年12 月 »
2009.11.14撮影。ご心配をおかけしています。浅草の風です。肺癌の転移で治療のために入院しましたが、検査を終えて一度退院したときに撮った写真を少しずつ公開しています。江戸町風の家並みで親しまれてる伝法院通りでは、さまざまな趣向の仕掛けで楽しむことができます。伝法院通り商店街のホームページはこちらです。
浅草のよさを広く知っていただくためにランキングに参加しています。良かったら押してください。ブログ村サイトが開きます。
2009.11.14撮影。ご心配をおかけしています。浅草の風です。肺癌の転移で治療のために入院しましたが、検査を終えて一度退院したときに撮った写真を少しずつ公開しています。所在地:台東区浅草2-3-1浅草九重のホームページはこちらです。
2009.11.14撮影。ご心配をおかけしています。浅草の風です。肺癌の転移で治療のために入院しましたが、検査を終えて一度退院したときに撮った写真を少しずつ公開しています。
(しばらくTOPに固定します)鷲神社のポスターです。酉の市を迎えると、いよいよ今年もいよいよ終わりかという気持ちになります。浅草酉の市は隣り合う鷲神社・長國寺で、開催日の0時から24時まで開催されます。浅草酉の市の記事一覧はこちらです。鷲神社所在地:台東区千束3-18-7鷲神社のホームページはこちらです。長國寺所在地:台東区千束3-19-7長國寺のホームページはこちらです。
2009.11.16撮影。ご心配をおかけしています。浅草の風です。肺癌の転移で治療のために入院しましたが、検査を終えて一度退院したときに撮った写真を少しずつ公開しています。浅草寺の総門である雷門。 かつては駒形橋付近にあったそうです。そこから浅草寺の境内であったわけですから広大だったんですね。現在地に移ったのは鎌倉時代だそうです。 門の両側に置かれているのが風神像と雷神像。雷門の正式名称は風雷神門。雷門と大書された大提灯をくぐって振り返ると風雷神門と書かれています。江戸時代の川柳では「門の名で見りゃ風神は居候」などと詠まれています。 この雷門、慶応元年(1865)に焼失して以来、昭和35年に松下電器産業(現パナソニック)創業者である松下幸之助氏が寄進するまで幻の門だったのです。風神像、雷神像の記事はこちらです。 雷門の裏側に安置されている火除けの龍神像の記事はこちらです。 浅草寺のホームページはこちらです。
2009.11.16撮影。ご心配をおかけしています。浅草の風です。肺癌の転移で治療のために入院しましたが、検査を終えて一度退院したときに撮った写真を少しずつ公開しています。所在地:台東区西浅草3-3-2どぜう飯田屋の前の記事はこちらです。
抗癌剤や放射線で舌の好みが変わってしまった。また美味しく食べられるようになりたい・・。
2009.11.16撮影。ご心配をおかけしています。浅草の風です。肺癌の転移で治療のために入院しましたが、検査を終えて一度退院したときに撮った写真を少しずつ公開しています。渥美清も来ていた嘉永5年創業の老舗です。ちょっと高級そうな店構えになっちゃったなあ。所在地:台東区雷門2-19-10西山菓子店の前の記事はこちらです。
2009.11.14撮影。ご心配をおかけしています。浅草の風です。肺癌の転移で治療のために入院しましたが、検査を終えて一度退院したときに撮った写真を少しずつ公開しています。本店所在地:台東区浅草3-6-1社長自らの実演もよく見られます。常盤堂雷おこし本舗のホームページはこちらです。常盤堂雷おこし本舗の前の記事はこちらです。
2009.11.14撮影。ご心配をおかけしています。浅草の風です。肺癌の転移で治療のために入院しましたが、検査を終えて一度退院したときに撮った写真を少しずつ公開しています。所在地:台東区浅草1-4-11池波正太郎が通ったと言われるお店です。金寿司の詳しい紹介はこちら。
2009.11.09撮影。ご心配をおかけしています。浅草の風です。肺癌の転移で治療のために入院しましたが、検査を終えて一度退院したときに撮った写真を少しずつ公開しています。松尾芭蕉に「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と謳われた、弁天山の時の鐘鐘楼です。鐘楼は昭和20年(1945)3月の東京大空襲で焼失し、昭和25年(1950)に再建されたもの。鐘は元禄5年(1692)のものが焼け残ったもの。いまも毎朝6時に時を告げています。除夜の鐘の時には鐘楼に上げていただき、鐘を打つ写真を撮りながら新年を迎えていました。今年は誠に残念ながら無理だと思います。 除夜の鐘、初詣の記事一覧はこちらです。浅草寺サイトの弁天堂ページはこちらです。