2009.01.17 撮影
宝蔵門横の交番前には一本のイチョウの老木があります。イチョウの前の看板がには、老木が昭和20年3月の東京大空襲の戦災で焼け残ったことなどの説明が書かれています。木の内部は洞になっていて、表面は黒く焼け焦げた痕が残っています。浅草を含め下町全体が火の海となり大勢の人が傷つき亡くなりました。浅草寺境内や周辺には、痛ましい戦争の傷跡が今もなお残っています。(ダボハゼ)
人力車の岡崎屋惣次郎さんらがすすめている「浅草・戦災樹木を伝える運動」の紹介ページはこちらです。
こちらは、本堂裏のイチョウです。このイチョウの大木にも焼けこげた痕が残っています。
こんにちは!12月16日に「浅草寺のイチョウの老木」を観にバス見学します。参考資料としてこの記事をみなさんに事前に渡し学習したいと考えています。使用してよろしいでしょうか。私は戦後生まれですが戦争で沢山の人たちが犠牲になった事実を忘れてはいけないと思います。
投稿情報: 寺岡君子 | 2009/12/07 10:27
寺岡さん、コメントありがとうございます。
見学会参考資料として使っていただけるとのこと
どうもありがとうございます。
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写真と文章提供:浅草紹介ブログ「浅草の風」http://asakusa.typepad.jp/
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と明記していただければ結構です。
新緑と黄葉の写真はこちらにもあります。よかったらご利用下さい。
http://asakusa.typepad.jp/2007/2008/12/post-c0e0.html
http://asakusa.typepad.jp/2007/2008/04/post-0ebf.html
投稿情報: 風 | 2009/12/07 11:37
寺岡君子さん、書き込みありがとうございます。「浅草の風」で遊ばせてもらっているダボハゼです。
私自身も「戦争を知らない子供達」世代です。
浅草寺界隈には、戦災・東京大空襲の傷跡が数多く残されています。浅草寺境内の大きな銀杏には空襲で焼け焦げた痕が残っています。伝法院通りの鎮護堂の銀杏にも焼け焦げが有ります。この銀杏のお陰で鎮護堂が焼け残ったと記されています。太い生木が焼けてしまうほどの想像を絶する猛火であったのでしょう。
また、隅田川沿いの墨田公園は、空襲で焼死した方々の仮埋葬地であり、言問橋の袂には木陰には慰霊碑があります。(11月29日掲載)
戦後64年、語り継いでいかねばなりません。
炭化した大銀杏の幹を良く見て、触れてください。
投稿情報: ダボハゼ | 2009/12/08 01:00