慶安2年(1649)12月23日旧本堂と共に三代将軍徳川家光公により再建落慶した旧仁王門(国宝指定・現宝蔵門と同規模)は、300年間浅草寺山門と
して江戸・明治・大正・昭和と時代の変遷を見つめ、文学、絵画、芸能など往時の文化にたびたび登場してまいりましたが、残念ながら昭和20年(1945)
3月10日の東京大空襲により本堂・五重塔(家光公建立・国宝)と共に炎上焼失いたしました。
その後、現本堂に続き昭和39年(1964)4月1日仁王門を宝蔵門と改めて同跡地に再建されました。
この三つの大石は宝蔵門再建に際して旧仁王門の跡地より昭和37年2月6日に掘出された礎石です。
旧仁王門には18本の大木柱があり、それぞれに基礎石がありましたが、戦火に遭いひび割れ破損し、原型をとどめる大礎石三個を選び保存しました。
石材は「本小松石」で上端の仕上げ面は約1.2m角、柱受けのホゾ穴があり、最大幅は約1.4m角、高さ約1m。この礎石の下部と周囲は10〜15cm径の玉石と粘土で突き固められていました。
江戸の人々の息吹を感じると共に、平和を祈る記念碑として受継ぎたいと存じます。
浅草寺
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