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2007.07.16撮影。
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雷門の大提灯には「雷門」、宝蔵門には「小舟町」、二天門には「二天門?」、本堂には「○○橋」とそれぞれの大提灯に書かれているようですが、宝蔵門と本堂には、何故に別の地名が書かれているのでしょうか? 江戸時代の浮世絵にも描かれていますが、どのようないわれがあるのでしょうか?
投稿情報: ダボハゼ | 2007/07/19 23:49
本堂の大提灯。志ん橋の大提灯は、江戸・寛政ごろ、雷門の屋根を葺いた新橋にある二つの組合が奉納したんだそうです。慶應元年に雷門が焼けて本堂に飾ることになり、その後新橋組合(見番)が奉納することになったそうです。2004年に新調された。→http://www.ginza.jp/heritage/h003.html 宝蔵門の小舟町大提灯。1659年に、当時魚河岸があった日本橋の鰹節問屋や鮮魚店が奉納したのが始まりだそうです。2003年に新調された。→http://nishihei.com/08151005.html
投稿情報: 風 | 2007/07/21 07:16
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雷門の大提灯には「雷門」、宝蔵門には「小舟町」、二天門には「二天門?」、本堂には「○○橋」とそれぞれの大提灯に書かれているようですが、宝蔵門と本堂には、何故に別の地名が書かれているのでしょうか? 江戸時代の浮世絵にも描かれていますが、どのようないわれがあるのでしょうか?
投稿情報: ダボハゼ | 2007/07/19 23:49
本堂の大提灯。志ん橋の大提灯は、江戸・寛政ごろ、雷門の屋根を葺いた新橋にある二つの組合が奉納したんだそうです。慶應元年に雷門が焼けて本堂に飾ることになり、その後新橋組合(見番)が奉納することになったそうです。2004年に新調された。→http://www.ginza.jp/heritage/h003.html
宝蔵門の小舟町大提灯。1659年に、当時魚河岸があった日本橋の鰹節問屋や鮮魚店が奉納したのが始まりだそうです。2003年に新調された。→http://nishihei.com/08151005.html
投稿情報: 風 | 2007/07/21 07:16