2009.11.09撮影。ご心配をおかけしています。浅草の風です。肺癌の転移で治療のために入院しましたが、検査を終えて一度退院してきました。まもなく本格治療のために再び入院します。小さなカメラを持って、雷門から本堂まで写真を撮りながら往復しただけでしたが、すっかり疲れてしまいました。体力が無くなったものです。二天門は、元和4年(1618)に建立。当初は境内にあった東照宮の随身門でした。現在は保存修理中です。工事前の二天門の記事はこちらです。浅草寺のホームページはこちらです。
馬道側から。
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こんにちは。協力メンバーの真公です。 浅草寺境内にある五重塔です。 (写真は2009.11.7撮影)
浅草寺の記事一覧はこちらです。 浅草寺のホームページはこちらです。
こんにちは。協力メンバーの真公です。 浅草寺では、11/15まで「浅草菊花展」が開かれています。そんな菊花展で賑わう境内の様子です。 (写真は2009.11.7撮影)
浅草菊花展の記事一覧はこちらです。 浅草観光連盟菊花展特設ページはこちらです。
上の3つの写真は、すべて「最優等」に選ばれた菊です。
こんにちは。協力メンバーの真公です。 晴れた日の昼時に撮った雷門です。 (写真は2009.11.4撮影)
浅草寺の総門である雷門。 かつては駒形橋付近にあったそうです。そこから浅草寺の境内であったわけですから広大だったんですね。現在地に移ったのは鎌倉時代だそうです。 門の両側に置かれているのが風神像と雷神像。雷門の正式名称は風雷神門。雷門と大書された大提灯をくぐって振り返ると風雷神門と書かれています。江戸時代の川柳では「門の名で見りゃ風神は居候」などと詠まれています。 この雷門、慶応元年(1865)に焼失して以来、昭和35年に松下電器産業(現パナソニック)創業者である松下幸之助氏が寄進するまで幻の門だったのです。
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2009.10.24撮影。
2009.10.24撮影。浅草神社は、浅草寺本堂の東(右)側にあります。明治政府の神仏分離令により分けられるまでは浅草寺と一体のものでした。浅草寺のご本尊示現に関わった三人の神さまをお祀りしたことから、地元では親しみをこめて「三社さま」と呼ばれています。三人の神さまの名前は、浅草寺のご本尊を隅田川から掬い上げた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・檜前武成(ひのくまのたけなり)の漁師兄弟と、浅草寺を創建した土師真中知(はじのまつち)。 社殿は、本殿、幣殿、拝殿からなり、幣殿と拝殿が渡り廊下でつながれている権現造り。第三代徳川将軍家光により建立寄進された社殿は350年たった現在も当時の面影をそのままに残しており、昭和26年(1951)に国の重要文化財に指定されています。 現在の例大祭「三社祭」は毎年5月17、18日に近い金土日に開催されています。土曜には氏子44ヶ町の神輿約100基が浅草神社を発進、各町内を渡御。 日曜には本社神輿3基と町内神輿が浅草中を練り歩き、3日間で延べ200万人近い観光客であふれます。今年は5/15、16、17に開催されました。 浅草神社のホームページはこちらです。 三社祭の記事一覧はこちらです。アミューズミュージアム内覧会の日、屋上から撮らせていただきました。どうもありがとうございました。
2009.10.13撮影。宝蔵門の右側にある小さなお堂です。TBS系で2008年に放送された浅草が舞台の「あんどーなつ」で、主人公の安藤奈津(貫地谷しほり)がよくお参りしていたのが、ここ久米平内堂です。江戸時代から縁結びの神様として人気があったようです。浅草うまいもの会の、久米平内紹介ページはこちらです。久米平内堂の梅の記事はこちらです。
2009.10.24撮影。浅草寺の山門である宝蔵門(仁王門)は、天慶5年(942)に建立。数度の火災により焼失、再建を繰り返しました。その後、徳川家光により再度の寄進建立が行われ、慶安2年(1649)に落慶。しかし昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により、本堂などと共に焼失しました。昭和39年、ホテルニューオータニを創始した大谷米太郎氏の寄進により再建。宝蔵門と呼ぶのは階上に浅草寺の宝物を収蔵していることによります。仁王の阿形像は錦戸新観作、吽形像は村岡久作。門の裏に懸けられている大草鞋は、村岡氏の故郷山形県村山市奉賛会による奉納。ほぼ10年に一度掛け替えられており、2008年に本堂落慶50周年を記念して掛け替えられました。小舟町の大提灯は、日本橋小舟町奉賛会の寄進。浅草寺のホームページはこちらです。
2009.10.24撮影。浅草寺の総門である雷門。 かつては駒形橋付近にあったそうです。そこから浅草寺の境内であったわけですから広大だったんですね。現在地に移ったのは鎌倉時代だそうです。 門の両側に置かれているのが風神像と雷神像。雷門の正式名称は風雷神門。雷門と大書された大提灯をくぐって振り返ると風雷神門と書かれています。江戸時代の川柳では「門の名で見りゃ風神は居候」などと詠まれています。 この雷門、慶応元年(1865)に焼失して以来、昭和35年に松下電器産業(現パナソニック)創業者である松下幸之助氏が寄進するまで幻の門だったのです。風神像、雷神像の記事はこちらです。 雷門の裏側に安置されている火除けの龍神像の記事はこちらです。 浅草寺のホームページはこちらです。
2009.10.24撮影。 ごめんなさい、写真がうまく撮れませんでした。掲載場所は本堂西側の塀です。