2009.09.27撮影。
浅草寺の総門である雷門。
かつては駒形橋付近にあったそうです。そこから浅草寺の境内であったわけですから広大だったんですね。現在地に移ったのは鎌倉時代だそうです。
門の両側に置かれているのが風神像と雷神像。雷門の正式名称は風雷神門。雷門と大書された大提灯をくぐって振り返ると風雷神門と書かれています。江戸時代の川柳では「門の名で見りゃ風神は居候」などと詠まれています。
この雷門、慶応元年(1865)に焼失して以来、昭和35年に松下電器産業(現パナソニック)創業者である松下幸之助氏が寄進するまで幻の門だったのです。
風神像、雷神像の記事はこちらです。
雷門の裏側に安置されている火除けの龍神像の記事はこちらです。
浅草寺のホームページはこちらです。
馴染まないかも知れないが、無用で無駄な知識をお伝えします。通称名は雷門《かみなりもん》の正式名は風神と雷神の二神を安置している風雷神門《ふうらいじんもん》であることは誰でもご存知であると思いますが、その風神の元々の御姿は摩利支天《マリーチ》で、雷神の元々の御姿は帝釈天《インドラー》とされています。しかし、他にも様々な説があるらしいので、今のところ定説とされていないようです。でも本来は、両神ともインド【元来はヒンドゥー教】の神で、仏教の守護神であることは申すまでもないでしょう。それから、日光東照宮の中にも通称名の雷門があるようです。それに、江戸時代の浅草には東照宮が存在していたようです。因みにですが、現在の浅草神社である浅草三社大権現社の社殿は日光東照宮と同じ時期頃に創建されているので、その為、当時は浅草東照宮と呼ばれていたようです。また、浅草神社の戦後に改めて謹製された本社神輿である一之宮と二之宮と三之宮の三基は日光東照宮の宮神輿の三基を参考にしているようです。では失礼にて。不必要であれば消去して下さい。
投稿情報: エンヤ!コラヤ! | 2009/10/05 02:18