2009.07.31撮影。
大量の訂正がされている説明板。
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都旧跡 戸田茂睡墓
所在 台東区浅草2丁目7番31号 浅草寺奥山庭苑内
指定 大正8年10月
元禄時代の歌人。はじめは渡辺氏を称し、のち戸田茂睡に改めた。名は馮、後に恭光、通称は茂右衛門。
寒露軒などと号していた。徳川氏の家臣渡辺忠の第六男として、寛永6年(1629)5月19日に生まれた。その後は那須黒羽で暮らし、のち本多政長に仕えて三百石を給されていた。延宝年間の末致仕し浅草寺の近くに居をかまえ、「梨本集」を著して和歌の制の無用を説き、世に詠歌の派を立てた。宝永3年(1706)4月14日、年78で歿した。「紫の一本」「御當代記」「隠家百首」「鳥の迹」などの作品がある。なお
塵の世をいとふ心の積りては
身の隠れかの山となるらん
とよみ、隠れ家の茂睡と時の人々に呼ばれていた。 昭和43年3月1日 建設 東京都教育委員会
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