2009.06.02撮影。
協力メンバーの真公さんが写真を送ってくれました。どうもありがとうご
ざいました。(写真の説明は風が付けました)
真公さんのブログはこちらです。
浅草寺の山門である宝蔵門(仁王門)は、天慶5年(942)に建立。数度の火災により焼失、再建を繰り返しました。その後、徳川家光により再度の寄進建立が行われ、慶安2年
(1649)に落慶。しかし昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により、本堂などと共に焼失しました。昭和39年、ホテルニューオータニを創始した大谷米太郎氏の寄進により再建。宝蔵門と呼ぶのは階上に浅草寺の宝物を収蔵していることによります。
仁王の阿形像は錦戸新観作、吽形像は村岡久作。門の裏に懸けられている大草鞋は、村岡氏の故郷山形県村山市奉賛会による奉納。ほぼ10年に一度掛け替えられており、2008年に本堂落慶50周年を記念して掛け替えられました。小舟町の大提灯は、日本橋小舟町奉賛会の寄進。
浅草寺のホームページはこちらです。
浅草寺五重塔は天慶5年(942)平公雅が本堂と共に建立。その後何度も倒壊・炎上・再建を繰り返しました。徳川3代将軍家光により本堂・仁王門などと共に建立された五重塔は寛永寺・増上寺・天王寺の塔とともに「江戸四塔」として親しまれ、明治44年には国宝に指定されました。しかし太平洋戦争により、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で本堂などと共に焼失しました。
昭和48年(1973)、塔院の上に五重塔を建てる「塔院造り」で再建。最上階にはスリランカのイスルムニヤ王立寺院から譲られた聖仏舎利(お釈迦さまの遺骨)が納められ、途中階には信徒奉納の「五輪宝塔」が置かれています。回廊式の塔院には霊牌殿があり百体の聖観音像と信徒の方々が納めた永代供養の位牌が安置されています。かつての国宝五重塔跡には「塔」の字の石標が埋められていましたが、2009年に碑が建てられました。碑と石標の記事はこちらです。
(説明文は浅草寺五重塔紹介ページおよび浅草槐の会五重塔紹介ページを参考にさせていただきました。詳しくはそちらをご覧ください)
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