2009.04.18撮影。
北斎忌の4/18、ご住職の知り合いに連れて行っていただきました。室内の写真はご住職の許可を戴いています。どうもありがとうございました。
所在地:台東区元浅草4-6-9
(説明文)
都旧跡 葛飾北斎墓
所在 台東区元浅草4丁目6番9号 誓教寺内
指定 昭和2年4月
江戸後期の著名な浮世絵師で葛飾流の始祖である。本姓は中島、名ははじめ時太郎のち鉄蔵といった。号は春朗、宗理、可候、画狂人、卍翁など三十余ある。宝暦十年(1760)九月江戸本所割下水で生まれ、父は徳川家用達の鏡師中島伊勢といった。十四、五才の時彫刻師に学び、十九の時に浮世絵師勝川春章の門に入ったが、ひそかに狩野派の画法を学び師の知るところとなり破門。以来土佐派、琳派、洋風画、中国画などを学び独自の画境を開いた。肉筆画、版画、絵本、さし絵などに手腕をふるい、特に風景画は広重とともに称賛され、「富岳三十六景」をはじめ傑作が多い。彼の作品はヨーロッパに多く流れ、フランスの印象派の人びとに大きな影響を与えた。
昭和43年3月1日 建設
東京都教育委員会
北斎は、嘉永2年(1849)4月18日、浅草聖天町にある遍照院境内の長屋で三女の阿栄に看取られて亡くなりました。正面に「画狂老人卍墓」と書かれている墓石は有志によって建てられた覆堂に守られています。右側面に時世の句「飛登魂てゆく気散しや夏の原」と刻まれているそうです。遺族が途絶えてしまったのでお寺が主催して毎年命日には北斎忌として慰霊法要が行なわれています。
法要には参加できませんでしたが、年に一度しか公開されない所蔵肉筆画・版画を見せていただくことができました。
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