2008.01.27撮影。
言問橋のたもとにあります。花が絶えません。
1945(昭和20)年3月10日、アメリカ軍のB29爆撃機約300機が東京の下町を焼夷弾によって絨毯爆撃。爆撃による火災は折からの強風にあおられ
約40平方キロを焼き尽くし、焼失家屋約27万戸、罹災者数は100万人余り。死者数は8万人とも10万人ともいわれているそうです。
(以下、説明板の内容)
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隅田公園のこの一帯は、昭和20年3月10日の東京大空襲等により亡くなられた数多くの方々を仮埋葬した場所である。
第二次世界大戦(太平洋戦争)中の空襲により被災した台東区民(当時下谷区民、浅草区民)は多数に及んだ。
亡くなられた多くの方々の遺体は、区内の公園等に仮埋葬され、戦後だびに付され東京都慰霊堂(墨田区)に納骨された。
戦後四十年、この不幸な出来事や忌まわしい記憶も、年毎に薄れ、平和な繁栄のもとに忘れ去られようとしている。
いま、本区は、数少ない資料をたどり、区民からの貴重な情報に基づく戦災死者名簿を調製するとともに、この地に碑を建立した。
昭和61年 台東区
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