山谷堀は日本堤からいまの桜橋あたりで隅田川に注ぎ込む堀割。遊郭吉原への水路として使われ、猪牙が行き交う両岸には船宿や茶屋が多くあったそうです。山
谷堀公園はその山谷堀を暗渠にした公園です。橋は、下流から今戸橋、聖天橋、吉野橋、正法寺橋、山谷堀橋、紙洗橋、地方新橋、地方橋、日本堤橋があり現在
も残されています。
今回は聖天橋から吉野橋までのほんの短い距離の紹介です。
公園内。バックの建物は台東商業高校。台東商業高校の約半分の敷地は、関八州穢多頭弾左衛門(職名)であった弾家の寄贈だそうです。近くには弾家の菩提寺である本龍寺があります。
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(ウィキペディア、「弾左衛門」の項目より一部引用。)
「穢多頭(えたがしら)弾左衛門(だんざえもん)は江戸時代の被差別民であった穢多・非人身分の頭領。幕府から関八州・伊豆・信濃・甲斐・駿河・陸奥の一
部の被差別民を統轄する権限を与えられ、触頭と称して全国の被差別民に号令を下す権限をも与えられた。「穢多頭」は幕府側の呼称で、みずからは代々長吏頭
(ちょうりがしら)弾左衛門と称した。地元・浅草では弾左衛門のことを矢野と呼んだ。(以下略)」
朝倉文夫作「あこがれ」の像。
朝倉彫塑館のホームページはこちらです。
園内のようす。
吉野通りと山谷堀公園。
おしまい。公園はさらに上流へと続きます。
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